感想(タ・ナ行)
2016年10月18日
何者
2016年東宝
2016年10月15日公開
公式サイト
監督: 三浦大輔
製作: 市川南
エグゼクティブプ
ロデューサー: 山内章弘
プロデューサー: 石黒裕亮
ラインプロデューサー: 田口生己
共同製作: 畠中達郎
中村理一郎
弓矢政法
市村友一
高橋誠
吉川英作
坂本健
荒波修
企画・プロデュース: 川村元気
原作: 朝井リョウ 『何者』(新潮社刊)
脚本: 三浦大輔
撮影: 相馬大輔
美術: 小島伸介
編集: 穗垣順之助
キャスティング: おおずさわこ
音響効果: 小島彩
音楽: 中田ヤスタカ
出演: 佐藤健
有村架純
二階堂ふみ
菅田将暉
岡田将生
山田孝之
超氷河期とリーマンショック後はかなりひどかったけど、近年は新卒の就職状況が改善しているのでちょっと前の時代として考えたほうがいいのかもしれない。
最後の20分間でどすんと落とされる。三浦大輔の芝居の見せ方を挟んできて面白いことをやる。
金曜深夜にぼーっとしていてラジオを聴いてしまっていて、朝井リョウの全方位に配慮する、悪く言えば理論武装するような放送を聴いていた。詩人の女性と付き合っていると本気で思って聴いているリスナーがいたけど、どう聴いても付き合っていないだろう。その番組で「何者」のエキストラ募集(たぶん芝居の観客)が集まらなくて担当者が必至だというのを話していた。現在は終了している。その番組を聴いていると西加奈子さんがラジオを聴いていると朝井君のことが嫌いになってしまうから聴かないことにすると言っていたが、聴いていると段々と朝井リョウのことが嫌いになる。そこまで吐露する必要はないのにと思う。作家はメディア露出しないほうがノイズにならないので作品を邪魔しないということがあるのだろう。タクトが黒い朝井リョウにしか見えなかった。みんないろいろ繕っているけど、本音ではこういうことを考えているよね。でも、そういうことを言わないだけでしょという怖さがあった。映画を見ているあんたも痛い人なんでしょうという朝井リョウがそう言っている気にもなった。突き刺さる。直木賞選考委員風に言う人間が描けている。
元ライダー同士の共演。有村架純、二階堂ふみ、菅田将暉は出過ぎな気がする。菅田将暉はこういう感じの役柄が多くてどれも似たように見える。有村架純は薄化粧だったせいか地味に見えた。大学院生で老けた人もいるけど、山田孝之はちょっと年取っていないか。
NANIMONO (feat. 米津玄師)
中田ヤスタカ
2016年東宝
2016年10月15日公開
公式サイト
監督: 三浦大輔
製作: 市川南
エグゼクティブプ
ロデューサー: 山内章弘
プロデューサー: 石黒裕亮
ラインプロデューサー: 田口生己
共同製作: 畠中達郎
中村理一郎
弓矢政法
市村友一
高橋誠
吉川英作
坂本健
荒波修
企画・プロデュース: 川村元気
原作: 朝井リョウ 『何者』(新潮社刊)
脚本: 三浦大輔
撮影: 相馬大輔
美術: 小島伸介
編集: 穗垣順之助
キャスティング: おおずさわこ
音響効果: 小島彩
音楽: 中田ヤスタカ
出演: 佐藤健
有村架純
二階堂ふみ
菅田将暉
岡田将生
山田孝之
超氷河期とリーマンショック後はかなりひどかったけど、近年は新卒の就職状況が改善しているのでちょっと前の時代として考えたほうがいいのかもしれない。
最後の20分間でどすんと落とされる。三浦大輔の芝居の見せ方を挟んできて面白いことをやる。
金曜深夜にぼーっとしていてラジオを聴いてしまっていて、朝井リョウの全方位に配慮する、悪く言えば理論武装するような放送を聴いていた。詩人の女性と付き合っていると本気で思って聴いているリスナーがいたけど、どう聴いても付き合っていないだろう。その番組で「何者」のエキストラ募集(たぶん芝居の観客)が集まらなくて担当者が必至だというのを話していた。現在は終了している。その番組を聴いていると西加奈子さんがラジオを聴いていると朝井君のことが嫌いになってしまうから聴かないことにすると言っていたが、聴いていると段々と朝井リョウのことが嫌いになる。そこまで吐露する必要はないのにと思う。作家はメディア露出しないほうがノイズにならないので作品を邪魔しないということがあるのだろう。タクトが黒い朝井リョウにしか見えなかった。みんないろいろ繕っているけど、本音ではこういうことを考えているよね。でも、そういうことを言わないだけでしょという怖さがあった。映画を見ているあんたも痛い人なんでしょうという朝井リョウがそう言っている気にもなった。突き刺さる。直木賞選考委員風に言う人間が描けている。
元ライダー同士の共演。有村架純、二階堂ふみ、菅田将暉は出過ぎな気がする。菅田将暉はこういう感じの役柄が多くてどれも似たように見える。有村架純は薄化粧だったせいか地味に見えた。大学院生で老けた人もいるけど、山田孝之はちょっと年取っていないか。
NANIMONO (feat. 米津玄師)
中田ヤスタカ
2014年11月30日
テレクラキャノンボール2013
2014年日本
R-18指定
☆☆☆☆☆
監督: カンパニー松尾
出演:神谷まゆ
新山かえで
仙台&札幌の素人20人
カンパニー松尾
バクシーシ山下
ビーバップみのる
タートル今田
梁井一
嵐山みちる
この作品を作っていただいた方々、登場してくれた素人の女性たちに感謝を申し上げたい。
面白すぎて、一気に10時間ぶっ飛ばすくらい。R-18だけど、抜きどころはほぼ皆無。車、バイクで走ってナンパしてハメ撮りしてポイントを稼ぎ、優勝者を決める。ただそれだけなのだけれど、とんでもない破壊力で迫ってくる。松江監督が今年一番の面白さと言っていただけのことはある。
ニンフォマニアックと言ってシャルロット・ゲンズブールで撮っているラース・フォン・トリアーはふざけんじゃない。ここまで到達してから依存症の映画を撮ってみろ。依存症の映画ではないけれど。綺麗過ぎる。何が依存だ。選り好みし過ぎている。選ばずにここまで行ってみろと言いたい。ちょっとリトルダンサーにサディスティックなことをしてもらったくらいでアブノーマルが好きなんですっていう表現はとんでもない。この作品に出てくることぐらいをやってみろ。気取るのもいい加減にしろとラースに言ってやりたい。
ただ一点気になったのがナマでプラス1ポイントというのはあまり納得がいかない。プロなので検査とか普通の人よりは気を遣っているのだろうが、そこはちょっと着けて欲しかった。
嵐山みちるさんが見つけたプロの女性が嫌がる表情がきつい。化粧してこれかとは思うが、仙台編ではババアや下手物がまだ出ていないなというところでこの映画の肝は何ら語られてはない。
キャノンボールの高速を使ってのレースはいらないのではと思うが、これがあるから仕切り直しをしてその後の審査会議を面白く見ることが出来る。そして、待ってましたの札幌編。
昔はテレクラを使っていたというのテレクラの登場。しかし、今現在では出会い系サイトが主流のためテレクラの時代は終わっている。その終わっているツールを使っている人々はどんなかというと、とんでもない方々が埋もれている。この企画にとっては宝の山ということなのだ。
すぐにアポを取ってしまうバクシーシ山下監督の起たないが最後まで効いてくる。さすがにカンパニー松尾監督も若くはないのでこの世代にはきつい企画となってきた。若いが巨漢で女の人生60分みたいな女性キャバ嬢の話はドキュメントにしていってもいいぐらいの重たい過去が語られる。恒例のシャカシャカでマイナス。何度か今までので今日のは何番目と聞くが、起ちが良くないおっさんとのセックスが良いわけがないわけで後ろから一番目と言われる。そりゃそうだよねと納得。
カンパニー松尾監督はちょっと年の人と。だが、フィニッシュまではいけない。昔はこういうのが普通だったがうまいものを食いすぎたというようなことを言い、反省。ある程度のレストランで食べていて、まずい食堂で食べていないと舌が肥えすぎてしまう。
嵐山みちる監督と野獣のような女性との対決。こんなんでいけるのと松尾監督が聞いて、大丈夫ですと答える。獣のような人でとにかくゴリラのようで凄い。獣姦寸前のような気にもなってきて笑っていいんだかどうだかわからなくなる。
ビーバップみのるさんが女子大生をどんどん口説いていってその気にさせるのが凄い。けれど、面白さはゼロ。
この企画の出発前のルール会議、ここでは楽しそうにがやがやと男たちが話し合う。そしてあれを食うと1ポイント。あれを飲むと。とんでもないことが語られる。
そして、札幌2日目。
ビーバップみのるさんが彼と住んでいるという女の人の自宅へ。そして3P。とにかく変わった人で彼も加わっての撮影。サブ男優のようなポジションで終了。そして飲んで。普段から見せたいというカップルでそういう写真集も撮って貰っていた。
梁井一さん。女性が住んでいるという自宅へ。そして、真打登場。一同これは・・・という衝撃の神降臨。とにかくとんでもない方が登場。普通なら誰もが家を間違えました。帰らせていただきますというような方。金を払ってというよりもむしろ金を貰って帰りたいぐらいのとんでもない恐ろしいビデオが始まる。まず、フェラから始まって、挿入。喘ぎ声も。飼っている猫ちゃんはタンスの上から恐る恐るその様子を見ている。視覚を閉ざしたい為に目を背け、声を聞きたくない為に耳を塞ぐ、どうにか最後までというが萎えそうに。もう一度挿入して終了。シャカシャカではない。そして、飲む。そして、なかなか出ないのでラーメンを食べますと。顔出しで出てくれるだけで神であり、結構率先して企画に参加してくれる良い人ではあった。そして出て、それを食べる。これを見えているだけで食欲と性欲はゼロになっていく。ほかの参加者ももう見たくはないというくらい嫌な顔をしている。ビデオを見終わり一堂拍手に。これは超えられない。
タートル今田さん。縦に横に大きな女性。さっきのを見ているだけにまだ良いじゃないかと思える。出した物を飲む。これでもうそれ以上は先には進めないと確信したというところで笑いが起こる。
カンパニー松尾さんが言い出したことなので最後はカレーに混ぜるという飛び道具を使い、かえって今後カレーを食べにくくならないかと思いつつも食す。この時点で吐き気がマックスになってしまうが、異常なおかしさが頂点にまで増してくる。これが何かの通過儀礼だとしたらこんな過酷な通過儀礼をやっている世界の民族はいない。
バク山さんシャカシャカで終了。
誰が優勝したか順位なんかどうでもいいんです。誰が優勝者か知りたい方はご覧下さい。
そして、本州へフェリーで移動。
これまでのレースが単なる前座だったことが明らかに。そして、業界にある人生を見たような気もした。日も暮れて哀愁も。しみじみもしてしまう。
こんな馬鹿馬鹿しいと言ってしまえばそれまでだが、作品にしてやりきる人たちに本当に尊敬しかない。セックスによってしか語られない、または語られていないが感じ取れる人生というのもないのではないか。
見終わると性欲、食欲が全て奪い取られていく。そして、夢にまで出てきそうで、変なアドレナリンかドーパミンかセロトニンが出ないのか、眠りまで妨げられそうになる。
カンパニー松尾監督は「童貞を〜」では生きることは人に迷惑をかけることなんだと言い切った。この作品でもある場面で泣いてしまう。訳が分からないが、こじ付けではあるが、私も泣いてしまった。笑って吐きそうになって泣かなきゃならないのだ。10時間も見て自分は何なんだ。本当に馬鹿だ、馬鹿だ。もう死にたくなった。でも、カンパニー松尾監督には作品からだが、何度か助けられた。素晴らしい監督だ。それだけを伝えたい。
2014年日本
R-18指定
☆☆☆☆☆
監督: カンパニー松尾
出演:神谷まゆ
新山かえで
仙台&札幌の素人20人
カンパニー松尾
バクシーシ山下
ビーバップみのる
タートル今田
梁井一
嵐山みちる
この作品を作っていただいた方々、登場してくれた素人の女性たちに感謝を申し上げたい。
面白すぎて、一気に10時間ぶっ飛ばすくらい。R-18だけど、抜きどころはほぼ皆無。車、バイクで走ってナンパしてハメ撮りしてポイントを稼ぎ、優勝者を決める。ただそれだけなのだけれど、とんでもない破壊力で迫ってくる。松江監督が今年一番の面白さと言っていただけのことはある。
ニンフォマニアックと言ってシャルロット・ゲンズブールで撮っているラース・フォン・トリアーはふざけんじゃない。ここまで到達してから依存症の映画を撮ってみろ。依存症の映画ではないけれど。綺麗過ぎる。何が依存だ。選り好みし過ぎている。選ばずにここまで行ってみろと言いたい。ちょっとリトルダンサーにサディスティックなことをしてもらったくらいでアブノーマルが好きなんですっていう表現はとんでもない。この作品に出てくることぐらいをやってみろ。気取るのもいい加減にしろとラースに言ってやりたい。
ただ一点気になったのがナマでプラス1ポイントというのはあまり納得がいかない。プロなので検査とか普通の人よりは気を遣っているのだろうが、そこはちょっと着けて欲しかった。
嵐山みちるさんが見つけたプロの女性が嫌がる表情がきつい。化粧してこれかとは思うが、仙台編ではババアや下手物がまだ出ていないなというところでこの映画の肝は何ら語られてはない。
キャノンボールの高速を使ってのレースはいらないのではと思うが、これがあるから仕切り直しをしてその後の審査会議を面白く見ることが出来る。そして、待ってましたの札幌編。
昔はテレクラを使っていたというのテレクラの登場。しかし、今現在では出会い系サイトが主流のためテレクラの時代は終わっている。その終わっているツールを使っている人々はどんなかというと、とんでもない方々が埋もれている。この企画にとっては宝の山ということなのだ。
すぐにアポを取ってしまうバクシーシ山下監督の起たないが最後まで効いてくる。さすがにカンパニー松尾監督も若くはないのでこの世代にはきつい企画となってきた。若いが巨漢で女の人生60分みたいな女性キャバ嬢の話はドキュメントにしていってもいいぐらいの重たい過去が語られる。恒例のシャカシャカでマイナス。何度か今までので今日のは何番目と聞くが、起ちが良くないおっさんとのセックスが良いわけがないわけで後ろから一番目と言われる。そりゃそうだよねと納得。
カンパニー松尾監督はちょっと年の人と。だが、フィニッシュまではいけない。昔はこういうのが普通だったがうまいものを食いすぎたというようなことを言い、反省。ある程度のレストランで食べていて、まずい食堂で食べていないと舌が肥えすぎてしまう。
嵐山みちる監督と野獣のような女性との対決。こんなんでいけるのと松尾監督が聞いて、大丈夫ですと答える。獣のような人でとにかくゴリラのようで凄い。獣姦寸前のような気にもなってきて笑っていいんだかどうだかわからなくなる。
ビーバップみのるさんが女子大生をどんどん口説いていってその気にさせるのが凄い。けれど、面白さはゼロ。
この企画の出発前のルール会議、ここでは楽しそうにがやがやと男たちが話し合う。そしてあれを食うと1ポイント。あれを飲むと。とんでもないことが語られる。
そして、札幌2日目。
ビーバップみのるさんが彼と住んでいるという女の人の自宅へ。そして3P。とにかく変わった人で彼も加わっての撮影。サブ男優のようなポジションで終了。そして飲んで。普段から見せたいというカップルでそういう写真集も撮って貰っていた。
梁井一さん。女性が住んでいるという自宅へ。そして、真打登場。一同これは・・・という衝撃の神降臨。とにかくとんでもない方が登場。普通なら誰もが家を間違えました。帰らせていただきますというような方。金を払ってというよりもむしろ金を貰って帰りたいぐらいのとんでもない恐ろしいビデオが始まる。まず、フェラから始まって、挿入。喘ぎ声も。飼っている猫ちゃんはタンスの上から恐る恐るその様子を見ている。視覚を閉ざしたい為に目を背け、声を聞きたくない為に耳を塞ぐ、どうにか最後までというが萎えそうに。もう一度挿入して終了。シャカシャカではない。そして、飲む。そして、なかなか出ないのでラーメンを食べますと。顔出しで出てくれるだけで神であり、結構率先して企画に参加してくれる良い人ではあった。そして出て、それを食べる。これを見えているだけで食欲と性欲はゼロになっていく。ほかの参加者ももう見たくはないというくらい嫌な顔をしている。ビデオを見終わり一堂拍手に。これは超えられない。
タートル今田さん。縦に横に大きな女性。さっきのを見ているだけにまだ良いじゃないかと思える。出した物を飲む。これでもうそれ以上は先には進めないと確信したというところで笑いが起こる。
カンパニー松尾さんが言い出したことなので最後はカレーに混ぜるという飛び道具を使い、かえって今後カレーを食べにくくならないかと思いつつも食す。この時点で吐き気がマックスになってしまうが、異常なおかしさが頂点にまで増してくる。これが何かの通過儀礼だとしたらこんな過酷な通過儀礼をやっている世界の民族はいない。
バク山さんシャカシャカで終了。
誰が優勝したか順位なんかどうでもいいんです。誰が優勝者か知りたい方はご覧下さい。
そして、本州へフェリーで移動。
これまでのレースが単なる前座だったことが明らかに。そして、業界にある人生を見たような気もした。日も暮れて哀愁も。しみじみもしてしまう。
こんな馬鹿馬鹿しいと言ってしまえばそれまでだが、作品にしてやりきる人たちに本当に尊敬しかない。セックスによってしか語られない、または語られていないが感じ取れる人生というのもないのではないか。
見終わると性欲、食欲が全て奪い取られていく。そして、夢にまで出てきそうで、変なアドレナリンかドーパミンかセロトニンが出ないのか、眠りまで妨げられそうになる。
カンパニー松尾監督は「童貞を〜」では生きることは人に迷惑をかけることなんだと言い切った。この作品でもある場面で泣いてしまう。訳が分からないが、こじ付けではあるが、私も泣いてしまった。笑って吐きそうになって泣かなきゃならないのだ。10時間も見て自分は何なんだ。本当に馬鹿だ、馬鹿だ。もう死にたくなった。でも、カンパニー松尾監督には作品からだが、何度か助けられた。素晴らしい監督だ。それだけを伝えたい。
2014年04月03日
チョコレートドーナツ
ANY DAY NOW
2012年アメリカ
2014年04月19日公開
公式サイト
☆☆☆☆
監督:トラヴィス・ファイン
脚本:トラヴィス・ファイン
ジョージ・アーサー・ブルーム
撮影:レイチェル・モリソン「フルートベール駅で」
プロダクションデザイン:エリザベス・ガーナー
衣装デザイン:サマンサ・クースター
編集:トム・クロス
音楽:ジョーイ・ニューマン
音楽監修:PJ・ブルーム
出演:アラン・カミング
ギャレット・ディラハント「それでも夜は明ける」
アイザック・レイヴァ
1979年、女装をして歌に合わせて口ぱくで踊っている。バーで飲んでいる男と目が合う。駐車場の車に乗り、口でした後、警官がライトを照らして車の窓を叩き、開けろと言い、お楽しみか、捕まえるぞと脅される。人権侵害じゃないか、俺は検事局で働いているんだと言い返す。二人で笑う。ところで名前はルディ・ドナテロ、ポールと名乗る。
ルディがアパートに帰ると落ちていた人形を戻そうというのと大音量の音楽がうるさいのが気になり隣の部屋のドアをノックし注意するが、女が面倒くさそうに応対する。大家が家賃滞納しているから払ってくれと言われるが、すぐ払うからと追い返す。掃除をしていると隣の家の戸が開いていて入ると人形を腕に抱えたダウン症の少年がいた。名前はマルコ。母親は薬物依存症で逮捕、社会福祉課の職員が彼を施設に連れて行く。ある日、夜にマルコが一人家に帰ろうと歩いている姿をルディは見て自分の家に連れてくる。大家が来て家賃を払う。空腹だったマルコに食事を出そうとルディは何が好きか聞く。ドーナツ。ヘルシーじゃないわよと言う。マルコをどうにか引き取れないかと以前会ったポールに電話をしたり、直接会いに行くが頼りにならない。後日、悪かったと言って、服役している母親から育てられるように委任状をもらえば育てられるという法的措置を取るという方法を考えて実行する。ルディとポールはいとこ同士ということで裁判所に提出。マルコをうちに来させて君も一緒に住むほうが都合が良いだろうとポールは言う。マルコにも専用の部屋を設け、学校にも通い始める。三人での夕食。マルコはチョコレートドーナツを食べ微笑む。幸せな時を切り取った写真が流れる。いとこ同士ではなくゲイであることがわかって、マルコは施設へと送られてしまう。ポールは検事局を辞めることとなり、弁護士としてマルコと暮らせないかと奮闘する。施設を送られたとしてもダウン症のため里親は出てこない。ルディとポールはマルコを育てたいと訴える。
「グッド・ワイフ」で弁護士役で選挙参謀をやっているアラン・カミングしか出来ない役だった。冒頭のダンスでは腋毛は生えたままで髭も濃く大してきれいになっていない容姿に哀愁があった。マルコ役のアイザック・レイヴァの歩いていく姿、後姿を撮っていくカメラ。一年だったが3人が家族になった、血縁でも何でもないが、それを超えたものがあった。
養育していく権利を得ようとするけれど、検察は執拗にゲイのカップルに育てられるのかと偏見を煽る。そして、ポールのかつての上司がマルコの薬中の母親を早く釈放し親権を主張させるような嫌がらせをしてくる。79年なので今よりももっと差別がひどかったとはいえなぜにそこまで嫌がらせをするのかがとても嫌な感じがした。その悪意によって最も起こって欲しくないことが起こってしまうという要因になってしまうのだが。
ポールが新聞記事と共に手紙を検事たちに送る。アラン・カミングがデモテープを送りショーで歌わないかと誘われ、最後熱唱する。魂で、思いをぶつけるように歌い上げる。全身全霊で歌う。ミュージカル俳優ということもあるが、うまいので心も動く。
何日もマルコがルディとポールを探し歩き回ったと思うと胸が詰まる。
トークゲストのLILICOさんが実話ということにも驚くでしょうと。実話だったのか。日本にはおもてなしよりも思いやりが必要なのではと言っていた。ちょっとしたお節介的なものがなくなってしまうと煩わしくはなるが、冷たいような社会になってしまうと思った。
ANY DAY NOW
2012年アメリカ
2014年04月19日公開
公式サイト
☆☆☆☆
監督:トラヴィス・ファイン
脚本:トラヴィス・ファイン
ジョージ・アーサー・ブルーム
撮影:レイチェル・モリソン「フルートベール駅で」
プロダクションデザイン:エリザベス・ガーナー
衣装デザイン:サマンサ・クースター
編集:トム・クロス
音楽:ジョーイ・ニューマン
音楽監修:PJ・ブルーム
出演:アラン・カミング
ギャレット・ディラハント「それでも夜は明ける」
アイザック・レイヴァ
1979年、女装をして歌に合わせて口ぱくで踊っている。バーで飲んでいる男と目が合う。駐車場の車に乗り、口でした後、警官がライトを照らして車の窓を叩き、開けろと言い、お楽しみか、捕まえるぞと脅される。人権侵害じゃないか、俺は検事局で働いているんだと言い返す。二人で笑う。ところで名前はルディ・ドナテロ、ポールと名乗る。
ルディがアパートに帰ると落ちていた人形を戻そうというのと大音量の音楽がうるさいのが気になり隣の部屋のドアをノックし注意するが、女が面倒くさそうに応対する。大家が家賃滞納しているから払ってくれと言われるが、すぐ払うからと追い返す。掃除をしていると隣の家の戸が開いていて入ると人形を腕に抱えたダウン症の少年がいた。名前はマルコ。母親は薬物依存症で逮捕、社会福祉課の職員が彼を施設に連れて行く。ある日、夜にマルコが一人家に帰ろうと歩いている姿をルディは見て自分の家に連れてくる。大家が来て家賃を払う。空腹だったマルコに食事を出そうとルディは何が好きか聞く。ドーナツ。ヘルシーじゃないわよと言う。マルコをどうにか引き取れないかと以前会ったポールに電話をしたり、直接会いに行くが頼りにならない。後日、悪かったと言って、服役している母親から育てられるように委任状をもらえば育てられるという法的措置を取るという方法を考えて実行する。ルディとポールはいとこ同士ということで裁判所に提出。マルコをうちに来させて君も一緒に住むほうが都合が良いだろうとポールは言う。マルコにも専用の部屋を設け、学校にも通い始める。三人での夕食。マルコはチョコレートドーナツを食べ微笑む。幸せな時を切り取った写真が流れる。いとこ同士ではなくゲイであることがわかって、マルコは施設へと送られてしまう。ポールは検事局を辞めることとなり、弁護士としてマルコと暮らせないかと奮闘する。施設を送られたとしてもダウン症のため里親は出てこない。ルディとポールはマルコを育てたいと訴える。
「グッド・ワイフ」で弁護士役で選挙参謀をやっているアラン・カミングしか出来ない役だった。冒頭のダンスでは腋毛は生えたままで髭も濃く大してきれいになっていない容姿に哀愁があった。マルコ役のアイザック・レイヴァの歩いていく姿、後姿を撮っていくカメラ。一年だったが3人が家族になった、血縁でも何でもないが、それを超えたものがあった。
養育していく権利を得ようとするけれど、検察は執拗にゲイのカップルに育てられるのかと偏見を煽る。そして、ポールのかつての上司がマルコの薬中の母親を早く釈放し親権を主張させるような嫌がらせをしてくる。79年なので今よりももっと差別がひどかったとはいえなぜにそこまで嫌がらせをするのかがとても嫌な感じがした。その悪意によって最も起こって欲しくないことが起こってしまうという要因になってしまうのだが。
ポールが新聞記事と共に手紙を検事たちに送る。アラン・カミングがデモテープを送りショーで歌わないかと誘われ、最後熱唱する。魂で、思いをぶつけるように歌い上げる。全身全霊で歌う。ミュージカル俳優ということもあるが、うまいので心も動く。
何日もマルコがルディとポールを探し歩き回ったと思うと胸が詰まる。
トークゲストのLILICOさんが実話ということにも驚くでしょうと。実話だったのか。日本にはおもてなしよりも思いやりが必要なのではと言っていた。ちょっとしたお節介的なものがなくなってしまうと煩わしくはなるが、冷たいような社会になってしまうと思った。
2012年11月14日
ドリームハウス
DREAM HOUSE
2011年米
11月23日公開
☆☆
ショウゲート配給
http://dreamhouse-movie.com/
監督: ジム・シェリダン「マイ・レフトフット」「父の祈りを」 「イン・アメリカ/三つの小さな願いごと」
脚本: デヴィッド・ルーカ
撮影: キャレブ・デシャネル
音楽: ジョン・デブニー
出演: ダニエル・クレイグ「007 スカイフォール」
ナオミ・ワッツ
レイチェル・ワイズ
サラ・ガドン
雪が降る季節。オフィスビルの中で中年の男が退職祝いでシャンパンで乾杯されている。男の名はウィル・エイトテンテン。良い編集者だったが、作家になるようだ。自宅に帰ると妻が待っていて会社を辞めたと伝えると喜ぶ。最近、越してきた家でゆっくり暮らせるわねと。小さな娘二人がいる。隣の家では夫婦げんかをしていて、娘を車に乗せて旦那はいらいらして去って行った。その男は会社に着き、このまま離婚すると親権を失い、財産もなくなってしまうという紙を見ている。
エイトテンテンの家では娘が誰か窓の外から覗いていると言ったり、何か変な感じがする。夜、物音がするほうに行ってみると、地下室に誰かがいる。戸を開けると若者たちが集まっている。若者たちは逃げていく。ここは空き家じゃないという。若者の一人がここは妻と娘を殺した男が住んでいた家だと告げる。
予告編でよく流れていて、ホラー映画なのかと何気なく見ていて。ジム・シェリダンということで少し期待していたが、ずっこけ映画だった。中盤で幽霊なのかと惑わせて、サスペンスになっていく。そうなるんだったらもっと早く隣の奥さんが言ってくれればということになる。終盤でまたどんでん返しが起こる。最初から怪しいと思っていた奴がその通りになる。エイトテンテンという苗字がどう考えても怪しいが、そういうふうになるためだったのかと分かる。
最後、それを本にしてというけれど、納得出来ない。
ダニエル・クレイグはどうしてもジェームズ・ボンドに見えてしまう。
DREAM HOUSE
2011年米
11月23日公開
☆☆
ショウゲート配給
http://dreamhouse-movie.com/
監督: ジム・シェリダン「マイ・レフトフット」「父の祈りを」 「イン・アメリカ/三つの小さな願いごと」
脚本: デヴィッド・ルーカ
撮影: キャレブ・デシャネル
音楽: ジョン・デブニー
出演: ダニエル・クレイグ「007 スカイフォール」
ナオミ・ワッツ
レイチェル・ワイズ
サラ・ガドン
雪が降る季節。オフィスビルの中で中年の男が退職祝いでシャンパンで乾杯されている。男の名はウィル・エイトテンテン。良い編集者だったが、作家になるようだ。自宅に帰ると妻が待っていて会社を辞めたと伝えると喜ぶ。最近、越してきた家でゆっくり暮らせるわねと。小さな娘二人がいる。隣の家では夫婦げんかをしていて、娘を車に乗せて旦那はいらいらして去って行った。その男は会社に着き、このまま離婚すると親権を失い、財産もなくなってしまうという紙を見ている。
エイトテンテンの家では娘が誰か窓の外から覗いていると言ったり、何か変な感じがする。夜、物音がするほうに行ってみると、地下室に誰かがいる。戸を開けると若者たちが集まっている。若者たちは逃げていく。ここは空き家じゃないという。若者の一人がここは妻と娘を殺した男が住んでいた家だと告げる。
予告編でよく流れていて、ホラー映画なのかと何気なく見ていて。ジム・シェリダンということで少し期待していたが、ずっこけ映画だった。中盤で幽霊なのかと惑わせて、サスペンスになっていく。そうなるんだったらもっと早く隣の奥さんが言ってくれればということになる。終盤でまたどんでん返しが起こる。最初から怪しいと思っていた奴がその通りになる。エイトテンテンという苗字がどう考えても怪しいが、そういうふうになるためだったのかと分かる。
最後、それを本にしてというけれど、納得出来ない。
ダニエル・クレイグはどうしてもジェームズ・ボンドに見えてしまう。
2012年03月06日
東京プレイボーイクラブ
2011年スタイルジャム
02月04日公開
公式サイト
☆☆☆
監督: 奥田庸介
脚本: 奥田庸介
エンディングテーマ: エレファントカシマシ 『パワー・イン・ザ・ワールド』
出演: 大森南朋 勝利
光石研 成吉
臼田あさ美
淵上泰史
赤堀雅秋
三浦貴大
佐藤佐吉
自動車の修理工場に近所の受験生がやって来る。鉄のかちんかちんという音がうるさくて勉強できねえんだよと文句を言う。工場にいた一人がお前がいけないのではと言うと近くにあったハンマーで殴ろうとする。車を直していた男、勝利(大森南朋 )と目が合う。何見てんだよ馬鹿野郎と近寄っていく。勝利はパイプで受験生をぽかんと殴る。倒れて血が流れる。アコーディオンの音楽が流れる。上からの撮影、横断歩道。
商店街、飲み屋などの歓楽街を歩くスーツの青年にポン引き(貴弘)が声をかけるが無視する。そのことに怒る。見るだけだと店へと連れて行く。お客一名さま、ありがとうございますと店主の成吉(光石研)は声を張り上げるが、風俗嬢たちはやる気がない。駅から出てくる勝利。貴弘はアパートへと帰ると彼女が『人間失格』を馬鹿を直すためということで読んでいる。朝になり、どんどんと店を叩く音がして成吉がドアを開けると、勝利が立っていた。世話になるということだった。 成吉と勝利は若い頃からの友人だった。居酒屋で飲んでいると勝利はトイレでチンピラの小僧にケンカを売られ殴ってしまう。そのチンピラとその兄は町を仕切っている奴らだった。チンピラたちはお前は田舎もんだろうと言ってきて勝利は殴ろうとするが、成吉はやめろと言い金を握らせて収めた。ケンカが強くても何の得にもならんと勝利に言う。店を出てきて、勝利はチンピラが道で小便をしているところを後ろから殴って顔をぼこぼこに殴りつける。成吉はなんていうことをしたんだ、そんなことをしたらこの町で商売していけなくなると必死に言う。
貴弘は店の女を妊娠させたということで店の金を盗んで女に渡すが逃げられる。貴弘は成吉に捕まり彼女を店で働かせて返させろという状況になる。この場面はぱっぱと見せて直接会話で語られないところがうまい。
淵上泰史演じる貴弘は最初嫌な感じだが、段々と馬鹿で間抜けな面が出てきて憎めないキャラクターで良かった。居酒屋での大森南朋の切れて止められなくなる感じも良かった。光石研とのやりとりもなかなか良かった。ちょっとした事故が起こって勝利がエプロンを付けて風呂場で作業というぞっとするようなシーンも深刻さというよりもコメディ的な軽さで見られた。利口な奴は一人も出てこないのは素晴らしい。一仕事終えて喫茶店で横一列に並んで3人が食事をする。成吉がぼろっと嫌なことを言う。そこが面白い。
しかし、最後はせっかく義理堅く勝利を守ってきた成吉がああいうシチュエーションだけれどもちょっとひどい性格になってしまっていないかと思った。あれだけキャラクターを育ててきたのにそういうふうに切り捨てるのはもったいない。証拠が見つかってしまうにしてももう少し違う設定でいったほうがよかった。それと黒に近いのにチンピラが大人しすぎる。頭を叩いたテープレコーダーから流れるてんとう虫のサンバ。何であれを強調したのかはよくわからなかった。
切ない時にかかる横浜ホンキートンクブルース、そのほかの音楽も暑苦しいものがあって良い。見せ場の暴力シーンもなかなかなんだけれども、好きな感じの作品なんだけれどももうちょっとという惜しい気がする。一人一人のキャラクターに目がいくのにまとまりが悪い。
だけど、監督の勢いというのが伝わってくる映画だった。
2011年スタイルジャム
02月04日公開
公式サイト
☆☆☆
監督: 奥田庸介
脚本: 奥田庸介
エンディングテーマ: エレファントカシマシ 『パワー・イン・ザ・ワールド』
出演: 大森南朋 勝利
光石研 成吉
臼田あさ美
淵上泰史
赤堀雅秋
三浦貴大
佐藤佐吉
自動車の修理工場に近所の受験生がやって来る。鉄のかちんかちんという音がうるさくて勉強できねえんだよと文句を言う。工場にいた一人がお前がいけないのではと言うと近くにあったハンマーで殴ろうとする。車を直していた男、勝利(大森南朋 )と目が合う。何見てんだよ馬鹿野郎と近寄っていく。勝利はパイプで受験生をぽかんと殴る。倒れて血が流れる。アコーディオンの音楽が流れる。上からの撮影、横断歩道。
商店街、飲み屋などの歓楽街を歩くスーツの青年にポン引き(貴弘)が声をかけるが無視する。そのことに怒る。見るだけだと店へと連れて行く。お客一名さま、ありがとうございますと店主の成吉(光石研)は声を張り上げるが、風俗嬢たちはやる気がない。駅から出てくる勝利。貴弘はアパートへと帰ると彼女が『人間失格』を馬鹿を直すためということで読んでいる。朝になり、どんどんと店を叩く音がして成吉がドアを開けると、勝利が立っていた。世話になるということだった。 成吉と勝利は若い頃からの友人だった。居酒屋で飲んでいると勝利はトイレでチンピラの小僧にケンカを売られ殴ってしまう。そのチンピラとその兄は町を仕切っている奴らだった。チンピラたちはお前は田舎もんだろうと言ってきて勝利は殴ろうとするが、成吉はやめろと言い金を握らせて収めた。ケンカが強くても何の得にもならんと勝利に言う。店を出てきて、勝利はチンピラが道で小便をしているところを後ろから殴って顔をぼこぼこに殴りつける。成吉はなんていうことをしたんだ、そんなことをしたらこの町で商売していけなくなると必死に言う。
貴弘は店の女を妊娠させたということで店の金を盗んで女に渡すが逃げられる。貴弘は成吉に捕まり彼女を店で働かせて返させろという状況になる。この場面はぱっぱと見せて直接会話で語られないところがうまい。
淵上泰史演じる貴弘は最初嫌な感じだが、段々と馬鹿で間抜けな面が出てきて憎めないキャラクターで良かった。居酒屋での大森南朋の切れて止められなくなる感じも良かった。光石研とのやりとりもなかなか良かった。ちょっとした事故が起こって勝利がエプロンを付けて風呂場で作業というぞっとするようなシーンも深刻さというよりもコメディ的な軽さで見られた。利口な奴は一人も出てこないのは素晴らしい。一仕事終えて喫茶店で横一列に並んで3人が食事をする。成吉がぼろっと嫌なことを言う。そこが面白い。
しかし、最後はせっかく義理堅く勝利を守ってきた成吉がああいうシチュエーションだけれどもちょっとひどい性格になってしまっていないかと思った。あれだけキャラクターを育ててきたのにそういうふうに切り捨てるのはもったいない。証拠が見つかってしまうにしてももう少し違う設定でいったほうがよかった。それと黒に近いのにチンピラが大人しすぎる。頭を叩いたテープレコーダーから流れるてんとう虫のサンバ。何であれを強調したのかはよくわからなかった。
切ない時にかかる横浜ホンキートンクブルース、そのほかの音楽も暑苦しいものがあって良い。見せ場の暴力シーンもなかなかなんだけれども、好きな感じの作品なんだけれどももうちょっとという惜しい気がする。一人一人のキャラクターに目がいくのにまとまりが悪い。
だけど、監督の勢いというのが伝わってくる映画だった。
2012年01月05日
デビルズ・ダブル
THE DEVIL'S DOUBLE
2011年ベルギー
1月13日公開
ギャガ配給
http://devilsdouble.gaga.ne.jp/
劇場情報
R18+指定
☆☆☆★
監督: リー・タマホリ「007/ダイ・アナザー・デイ」
原作: ラティフ・ヤヒア
脚本: マイケル・トーマス
撮影: サム・マッカーディ
音楽: クリスチャン・ヘンソン「Devil's Double」
出演: ドミニク・クーパー
リュディヴィーヌ・サニエ
男(ラティフ・ヤヒア)は戦地で爆発、海へ飛び込む。そして車で屋敷へと連れて行かれる。ラティフはタバコを吸う。ウダイ・フセインが現れ、お前は俺の影武者になるんだと言われるが、断る。考える時間を10分やるがお前は俺の物だ、もう家族とも会えないと言って立ち去る。側近はウダイにあの男は背格好も顔も似ていて、思想にも問題は無いと言う。ラティフはまた断る、影武者になるということは自分を消去することだと言って。だが、ウダイの取り巻きにぼこぼこにされ、諦める。ウダイはパーティーに出かける。ちょっとした隙にラティフは車で家まで行くが、ウダイの部下に捕まる。ラティフは体を縛り付けられてウダイに鞭で打たれる。イラクのオリンピック委員会会長にかつて国を代表する選手であっても国に逆らうと歯を抜かれたり、爪をはがされたり、水攻めのビデオを見せられ、家族もアブグレイブ収容所へと送られると脅される。ラティフはウダイの父サダム・フセインにも影武者として認められる。
ラティフはウダイの車に乗せられ、気に入った女の子をナンパして無理矢理車へと乗せ屋敷へと拉致していく。サダムの友人でもある男とけんかとなり、ナイフで殺し、銃で止めをさした。ウダイはパーティーで女の子をさんざん遊び倒して殺し、家来に捨てさせに行かせる。ウダイは大量に薬を飲み、自殺未遂を謀る。サダムは怒りウダイを殴る。
その頃、湾岸戦争が起こり、ブッシュ父がイラクを爆撃して行った。
ライオンズゲートで成人指定でならば、やはり残虐描写が際立つ作品になる。妙にアドレナリンが出てしまう。ウダイの影武者であったラティフ・ヤヒアが実際に見てきたものを本にしたことに基づく話だ。セックス描写も割と激しい感じのものがある。ナイフで腹を裁き臓物だらんという映像もあって気持ちが悪い。ウダイはいつもハイテンションで典型的バカ息子で女を犯して捨てる、結婚式の新婦をレイプなど鬼畜を絵に描いたような奴だった。サダムもクルド人大虐殺などひどいことをやり尽くしているのだけれど、サダムが常識人に見えるほどのひどさだった。ラティフ・ヤヒアはそれを見せられてきていて、普通の神経ならおかしくなるか、逃げ出す。彼の視点で見るとすんなり入っていって共感できる。最後はこうなったのには自業自得だとすっきりする展開も容易されている。だが、よく見てみるとウダイがこうなったのには理由があって、親の愛情が乏しいため構って欲しい、影武者も話し相手が始めて出来たようなうれしさ、とんでもないわがままでひどい真性かまってちゃんだけれど、非常に魅力的に見えてくる。本当に本当にひどい奴だけど、このキャラクターはどこかで活かしておきたい気もする。それも鬼畜と人間的にもちゃんとしているラティフをしっかりと演じ分けたドミニク・クーパーがいたからこそこの映画は成立し得たと思った。二人分の出演料をたんまりもらう価値はある。
途中建物前のオレンジが転がる銃撃戦、車での銃撃戦、逃走での銃撃とアクションのうまさも出ていて、話の展開も早く切り替えも良くリー・タマホリ監督の演出は冴えていた。今までの監督の映画の中で一番見やすかった。ただ、タマホリなのでエロ的な場面は男のケツのバックショットばかりで女にはあまり焦点がいかなかったようだ。またウダイの本命の女であるサラブを演じたリュディヴィーヌ・サニエがいまいちきれいではないし、もうちょっと良い人はいなかったものか。タマホリにとってはどうでもいいことだったのかもしれない。
最新作の「ミッション・インポッシブル」でもそうなのだが、ロシアが出てきてロシア民謡っぽい曲、今作はイラクで中東アラブだからアラブっぽい音楽がかかるのは何とかならないものか。舞台がどこだというのがわかっているのだからそういう記号的なものはいらない。
ウダイが言っていたことでそうだなと思ったのはクウェートはイギリスが勝手に国境線を引き切り取って言ったということ。本当にそうだ。石油が出そうなところをうまく切り取ってしまって国にしてしまった。
2003年にウダイ、弟クサイはアメリカによって殺され、死体の顔の写真は公開されている。
THE DEVIL'S DOUBLE
2011年ベルギー
1月13日公開
ギャガ配給
http://devilsdouble.gaga.ne.jp/
劇場情報
R18+指定
☆☆☆★
監督: リー・タマホリ「007/ダイ・アナザー・デイ」
原作: ラティフ・ヤヒア
脚本: マイケル・トーマス
撮影: サム・マッカーディ
音楽: クリスチャン・ヘンソン「Devil's Double」
出演: ドミニク・クーパー
リュディヴィーヌ・サニエ
男(ラティフ・ヤヒア)は戦地で爆発、海へ飛び込む。そして車で屋敷へと連れて行かれる。ラティフはタバコを吸う。ウダイ・フセインが現れ、お前は俺の影武者になるんだと言われるが、断る。考える時間を10分やるがお前は俺の物だ、もう家族とも会えないと言って立ち去る。側近はウダイにあの男は背格好も顔も似ていて、思想にも問題は無いと言う。ラティフはまた断る、影武者になるということは自分を消去することだと言って。だが、ウダイの取り巻きにぼこぼこにされ、諦める。ウダイはパーティーに出かける。ちょっとした隙にラティフは車で家まで行くが、ウダイの部下に捕まる。ラティフは体を縛り付けられてウダイに鞭で打たれる。イラクのオリンピック委員会会長にかつて国を代表する選手であっても国に逆らうと歯を抜かれたり、爪をはがされたり、水攻めのビデオを見せられ、家族もアブグレイブ収容所へと送られると脅される。ラティフはウダイの父サダム・フセインにも影武者として認められる。
ラティフはウダイの車に乗せられ、気に入った女の子をナンパして無理矢理車へと乗せ屋敷へと拉致していく。サダムの友人でもある男とけんかとなり、ナイフで殺し、銃で止めをさした。ウダイはパーティーで女の子をさんざん遊び倒して殺し、家来に捨てさせに行かせる。ウダイは大量に薬を飲み、自殺未遂を謀る。サダムは怒りウダイを殴る。
その頃、湾岸戦争が起こり、ブッシュ父がイラクを爆撃して行った。
ライオンズゲートで成人指定でならば、やはり残虐描写が際立つ作品になる。妙にアドレナリンが出てしまう。ウダイの影武者であったラティフ・ヤヒアが実際に見てきたものを本にしたことに基づく話だ。セックス描写も割と激しい感じのものがある。ナイフで腹を裁き臓物だらんという映像もあって気持ちが悪い。ウダイはいつもハイテンションで典型的バカ息子で女を犯して捨てる、結婚式の新婦をレイプなど鬼畜を絵に描いたような奴だった。サダムもクルド人大虐殺などひどいことをやり尽くしているのだけれど、サダムが常識人に見えるほどのひどさだった。ラティフ・ヤヒアはそれを見せられてきていて、普通の神経ならおかしくなるか、逃げ出す。彼の視点で見るとすんなり入っていって共感できる。最後はこうなったのには自業自得だとすっきりする展開も容易されている。だが、よく見てみるとウダイがこうなったのには理由があって、親の愛情が乏しいため構って欲しい、影武者も話し相手が始めて出来たようなうれしさ、とんでもないわがままでひどい真性かまってちゃんだけれど、非常に魅力的に見えてくる。本当に本当にひどい奴だけど、このキャラクターはどこかで活かしておきたい気もする。それも鬼畜と人間的にもちゃんとしているラティフをしっかりと演じ分けたドミニク・クーパーがいたからこそこの映画は成立し得たと思った。二人分の出演料をたんまりもらう価値はある。
途中建物前のオレンジが転がる銃撃戦、車での銃撃戦、逃走での銃撃とアクションのうまさも出ていて、話の展開も早く切り替えも良くリー・タマホリ監督の演出は冴えていた。今までの監督の映画の中で一番見やすかった。ただ、タマホリなのでエロ的な場面は男のケツのバックショットばかりで女にはあまり焦点がいかなかったようだ。またウダイの本命の女であるサラブを演じたリュディヴィーヌ・サニエがいまいちきれいではないし、もうちょっと良い人はいなかったものか。タマホリにとってはどうでもいいことだったのかもしれない。
最新作の「ミッション・インポッシブル」でもそうなのだが、ロシアが出てきてロシア民謡っぽい曲、今作はイラクで中東アラブだからアラブっぽい音楽がかかるのは何とかならないものか。舞台がどこだというのがわかっているのだからそういう記号的なものはいらない。
ウダイが言っていたことでそうだなと思ったのはクウェートはイギリスが勝手に国境線を引き切り取って言ったということ。本当にそうだ。石油が出そうなところをうまく切り取ってしまって国にしてしまった。
2003年にウダイ、弟クサイはアメリカによって殺され、死体の顔の写真は公開されている。
2011年12月18日
トーキョードリフター
2011年
12月10日公開
東風配給
72分
http://www.tokyo-drifter.com/
劇場情報
☆☆☆☆
監督: 松江哲明「ライブテープ」「DV」「あんにょん由美香 [DVD]」「童貞。をプロデュース」
撮影: 近藤龍人
制作: 岩淵弘樹
録音: 山本タカアキ
出演: 前野健太『トーキョードリフター』『ファックミー』「ライブテープ」「DV」
スタッフ、出演者の名前がデジタルな文字で出現する。
2011年5月。上からのぼやっとした画面。夜、交差点の真ん中でギターを弾く男、前野健太。ぼんやりとした明るさの街、新宿三越があったビルの前の路地でギターをかき鳴らしながら歌う。人々が下を向いたようにするっとすれ違っていく。力なく。スズキのバイクで移動。松原の商店街を歩きながら歌い、踏み切りの音に負けずに歌い上げる。アパート前で静かに歌う。
人通りが少なくなった夜の渋谷、H&M前でファックミーを叫ぶ。雨が強くなる。109へ、バイクで移動しながらAKBのヘビーローテーションを口ずさむ。雨は降り続く。セブンイレブン前で歌う。歌声がカメラを突き抜けてくるようにぶつけてくる。バイクで移動。河川敷で歌い上げる。雨は降り続きながら。真っ暗な画面が続く中でトーキョードリフターが流れる。
一部、松江監督、前野さんの舞台挨拶で話されたことの内容を含む。
松江監督のドキュメンタリーは必ず見なければいけないと思っている。見てしまう。何か好きなのだ。
東北、東日本大震災、津波、原発事故から間もない東京。ぼやっとした感じ、ショックにまだ立ち直れていない街が画面から伝わってくる。途中途中で画面が意図はしていないのかもしれない画面が真っ暗になってから切り替わるその一瞬がその時ではないと伝えられないものだったのだと思う。
監督は震災の日に映画祭で韓国に行っていて帰ってきた時に東京も暗くなっていて、東北の被災地とは大小あれど東京も被災地だと感じた。震災後すぐには映画を撮るという気にはならなかったと松江監督は言う。言葉にできない、言葉を求められるけれど。だから、映画では歌のタイトルなどテロップも出さなかった。後々言葉が大きくなっていくから尚更というようなことをおっしゃっていた。映画を製作した時やその後は物理的に暗くなった東京を撮って良かったと思うが、当時は良かったという言葉を口にしたくはなかったと言う。今では東京も段々明るくなってきて元に戻ってきてしまった。それが早過ぎるし、街の照明、明るさはまだ暗くてもいいのではないか、ヨーロッパでは午後8時には店は閉じ休日は店はほとんど休みなっていて明るさの緩急がついているのだけれども、日本ではテレビのアナウンサーが明るさを取り戻さないといけないと言っているが、そうではないだろうという思いがあったと監督は話していた。明るさを無理に取り戻そうとするのは間違いのような気もする。そういうところはもっと抑えたほうがいいのではないかと私も思った。後半のほうで前野さんがギターを背負ってバイクに乗って走っている画面からそれてタクシーの後ろの窓に張られたがんばろう日本というシールが皮肉にも見えた。訴えたいのはこういう国民の同一性を求めるものじゃねえだろ。松江監督が高円寺だか吉祥寺のデモを前野さんのアルバムを聴きながら眺めていて、前野さんもそういうのとは何かちょっと違うということを話していた。事柄は違えうけど、そういうのの共通性はあるのかと。まあデモと民衆の総意を訴えていくのは難しいのでここでは言及しない。
前野さんはがんがん歌で切り込んでいく。撮っている松江監督のほうがセンシティブになっていたのではないかという感じがした。おばさんパーマみたいな髪でサングラスの前野さんがモンスター、ゴジラのようだった。突き進んでいく。「ライブテープ」の時には吉祥寺で元旦ということもあってすれ違う人々が前野さんに対して意識して見たり、関心が向けられていたが、今回は震災後、加えて夜ということもあって前野さんが歌い上げていても歌っている人がいるくらいの関心しかないのが分かった。心に余裕、傾ける耳がなくなっていたのだと今見ると冷静に見れてしまう。だが、撮っていた松江監督が当時そう気付いていたのかどうか、それが気になった。
観客の今回はぶっけらぼうな撮り方だったという質問の松江監督のお答えを聞いて、「ライブテープ」は完成品をきっちりと出そうとしていたんだと改めてわかった。その後、前野さんが監督とは音楽と映画で違うけれども、お互いライバル関係であり、PV、映画がどちらの作品になるかでぶつかり合いがあると話していた。その話でいうと「ライブテープ」はどこで撮ってという演出が細かく松江監督の作品であるけれども、きっちり前野さんの歌、音楽の良さを最大限に引き出していて前野さんの作品という色が強かった。しかし、今回は一見あんまり演出をつけないような感じが前野さんの歌を少し弱め、夜の街の暗さを出し、今回は松江監督らしさがとても出ていたように思う。最後のトーキョードリフターという曲の歌詞がとてもスマートになったと思ったら、作詞が松江監督だった。そういうところも松江色が強いところだ。それにしても前野健太さんの歌は青い感じがずっとしていて凄く良い。
今もそうだが、5月はもっと放射能が強いのに雨の中歌わせる。その怒りというのもあったように聴こえた。監督と前野さんのぶつかり合い、スクリーンを見る観客とのぶつかり合いもある映画だ。歌っている姿を見せつける映画でこういうふうに受け取って下さいというものがないだけにぶつけてきたからしっかり受け止めてぶつからなければならない。震災、津波、原発事故後に震災とは関係ない映画を見ていても震災、原発のことを考えてしまう。この作品はずばり震災のことも原発のことも考えてしまうが、不思議とほかの関係ない映画を見ているよりも集中して映画に入り込むことが出来た。
松江監督が震災後に映画を観るという行為のハードルが高いが音楽はすぐに耳に入ってきて音楽を聴くという行為ができたと話していた。私は本を読むというのもなかなか出来なかった。見て聞いてという映画もなかなか頭に入ってきにくいものである。具体的表現よりも抽象化された歌のほうがいろいろ考えなくて済むのかもしれない。
松江監督と前野さんはそんなにしょっちゅう会う関係ではなく、仕事の時に会ってたまに電話をしたり、メールをしたりという仲で、ほかのスタッフとも30代だからか助監督を経験して監督と仲良くなって公私共にという関係ではなくても仕事はきっちり出来る関係性が作られているという話だった。黒沢清監督も以前シンポジウムで上の団塊の世代ぐらいは仕事が終わっても飲んだりして面倒だったが、今の若い人はきっちり仕事が終わったら飲まないで帰るクールさがあって良いと言っていた。自分の役割が終わったらそれでという関係性は今では珍しくはない。それが冷たいというのでもないのはそうだと思った。
45分にわたるお二人のトーク。松江監督のジャック&ベティ好きの発言が嬉しかった。小さな映画館で舞台挨拶、何だか温かいような雰囲気があったのか。確か爆音映画祭のゼイリブに来ていた。CDとパンフを買ってお二人にサインをしてもらった。嬉しかった。前野さんのクリスマスイヴの19時にニュースがあるというのが大変気になった。
前野さん自身が撮ったPV
続きを読む
2011年
12月10日公開
東風配給
72分
http://www.tokyo-drifter.com/
劇場情報
☆☆☆☆
監督: 松江哲明「ライブテープ」「DV」「あんにょん由美香 [DVD]」「童貞。をプロデュース」
撮影: 近藤龍人
制作: 岩淵弘樹
録音: 山本タカアキ
出演: 前野健太『トーキョードリフター』『ファックミー』「ライブテープ」「DV」
スタッフ、出演者の名前がデジタルな文字で出現する。
2011年5月。上からのぼやっとした画面。夜、交差点の真ん中でギターを弾く男、前野健太。ぼんやりとした明るさの街、新宿三越があったビルの前の路地でギターをかき鳴らしながら歌う。人々が下を向いたようにするっとすれ違っていく。力なく。スズキのバイクで移動。松原の商店街を歩きながら歌い、踏み切りの音に負けずに歌い上げる。アパート前で静かに歌う。
人通りが少なくなった夜の渋谷、H&M前でファックミーを叫ぶ。雨が強くなる。109へ、バイクで移動しながらAKBのヘビーローテーションを口ずさむ。雨は降り続く。セブンイレブン前で歌う。歌声がカメラを突き抜けてくるようにぶつけてくる。バイクで移動。河川敷で歌い上げる。雨は降り続きながら。真っ暗な画面が続く中でトーキョードリフターが流れる。
一部、松江監督、前野さんの舞台挨拶で話されたことの内容を含む。
松江監督のドキュメンタリーは必ず見なければいけないと思っている。見てしまう。何か好きなのだ。
東北、東日本大震災、津波、原発事故から間もない東京。ぼやっとした感じ、ショックにまだ立ち直れていない街が画面から伝わってくる。途中途中で画面が意図はしていないのかもしれない画面が真っ暗になってから切り替わるその一瞬がその時ではないと伝えられないものだったのだと思う。
監督は震災の日に映画祭で韓国に行っていて帰ってきた時に東京も暗くなっていて、東北の被災地とは大小あれど東京も被災地だと感じた。震災後すぐには映画を撮るという気にはならなかったと松江監督は言う。言葉にできない、言葉を求められるけれど。だから、映画では歌のタイトルなどテロップも出さなかった。後々言葉が大きくなっていくから尚更というようなことをおっしゃっていた。映画を製作した時やその後は物理的に暗くなった東京を撮って良かったと思うが、当時は良かったという言葉を口にしたくはなかったと言う。今では東京も段々明るくなってきて元に戻ってきてしまった。それが早過ぎるし、街の照明、明るさはまだ暗くてもいいのではないか、ヨーロッパでは午後8時には店は閉じ休日は店はほとんど休みなっていて明るさの緩急がついているのだけれども、日本ではテレビのアナウンサーが明るさを取り戻さないといけないと言っているが、そうではないだろうという思いがあったと監督は話していた。明るさを無理に取り戻そうとするのは間違いのような気もする。そういうところはもっと抑えたほうがいいのではないかと私も思った。後半のほうで前野さんがギターを背負ってバイクに乗って走っている画面からそれてタクシーの後ろの窓に張られたがんばろう日本というシールが皮肉にも見えた。訴えたいのはこういう国民の同一性を求めるものじゃねえだろ。松江監督が高円寺だか吉祥寺のデモを前野さんのアルバムを聴きながら眺めていて、前野さんもそういうのとは何かちょっと違うということを話していた。事柄は違えうけど、そういうのの共通性はあるのかと。まあデモと民衆の総意を訴えていくのは難しいのでここでは言及しない。
前野さんはがんがん歌で切り込んでいく。撮っている松江監督のほうがセンシティブになっていたのではないかという感じがした。おばさんパーマみたいな髪でサングラスの前野さんがモンスター、ゴジラのようだった。突き進んでいく。「ライブテープ」の時には吉祥寺で元旦ということもあってすれ違う人々が前野さんに対して意識して見たり、関心が向けられていたが、今回は震災後、加えて夜ということもあって前野さんが歌い上げていても歌っている人がいるくらいの関心しかないのが分かった。心に余裕、傾ける耳がなくなっていたのだと今見ると冷静に見れてしまう。だが、撮っていた松江監督が当時そう気付いていたのかどうか、それが気になった。
観客の今回はぶっけらぼうな撮り方だったという質問の松江監督のお答えを聞いて、「ライブテープ」は完成品をきっちりと出そうとしていたんだと改めてわかった。その後、前野さんが監督とは音楽と映画で違うけれども、お互いライバル関係であり、PV、映画がどちらの作品になるかでぶつかり合いがあると話していた。その話でいうと「ライブテープ」はどこで撮ってという演出が細かく松江監督の作品であるけれども、きっちり前野さんの歌、音楽の良さを最大限に引き出していて前野さんの作品という色が強かった。しかし、今回は一見あんまり演出をつけないような感じが前野さんの歌を少し弱め、夜の街の暗さを出し、今回は松江監督らしさがとても出ていたように思う。最後のトーキョードリフターという曲の歌詞がとてもスマートになったと思ったら、作詞が松江監督だった。そういうところも松江色が強いところだ。それにしても前野健太さんの歌は青い感じがずっとしていて凄く良い。
今もそうだが、5月はもっと放射能が強いのに雨の中歌わせる。その怒りというのもあったように聴こえた。監督と前野さんのぶつかり合い、スクリーンを見る観客とのぶつかり合いもある映画だ。歌っている姿を見せつける映画でこういうふうに受け取って下さいというものがないだけにぶつけてきたからしっかり受け止めてぶつからなければならない。震災、津波、原発事故後に震災とは関係ない映画を見ていても震災、原発のことを考えてしまう。この作品はずばり震災のことも原発のことも考えてしまうが、不思議とほかの関係ない映画を見ているよりも集中して映画に入り込むことが出来た。
松江監督が震災後に映画を観るという行為のハードルが高いが音楽はすぐに耳に入ってきて音楽を聴くという行為ができたと話していた。私は本を読むというのもなかなか出来なかった。見て聞いてという映画もなかなか頭に入ってきにくいものである。具体的表現よりも抽象化された歌のほうがいろいろ考えなくて済むのかもしれない。
松江監督と前野さんはそんなにしょっちゅう会う関係ではなく、仕事の時に会ってたまに電話をしたり、メールをしたりという仲で、ほかのスタッフとも30代だからか助監督を経験して監督と仲良くなって公私共にという関係ではなくても仕事はきっちり出来る関係性が作られているという話だった。黒沢清監督も以前シンポジウムで上の団塊の世代ぐらいは仕事が終わっても飲んだりして面倒だったが、今の若い人はきっちり仕事が終わったら飲まないで帰るクールさがあって良いと言っていた。自分の役割が終わったらそれでという関係性は今では珍しくはない。それが冷たいというのでもないのはそうだと思った。
45分にわたるお二人のトーク。松江監督のジャック&ベティ好きの発言が嬉しかった。小さな映画館で舞台挨拶、何だか温かいような雰囲気があったのか。確か爆音映画祭のゼイリブに来ていた。CDとパンフを買ってお二人にサインをしてもらった。嬉しかった。前野さんのクリスマスイヴの19時にニュースがあるというのが大変気になった。
前野さん自身が撮ったPV
続きを読む
2011年10月14日
チェルノブイリ・ハート
CHERNOBYL HEART
2003年米
8月13日公開
公式サイト
PG12指定
☆☆☆☆
監督: メアリーアン・デレオ
製作: メアリーアン・デレオ
2003年度アカデミー賞ドキュメンタリー短編賞受賞
最初に今回原発事故が起こった日本のみなさんへと監督からの詩人の言葉が引用される。オリーブの木を植え続けないといけない。生き続けないといけない。
チェルノブイリ原発事故は1986年4月26日に起きた。軍を大量に投下し作業をした。何万にかの死者が出た。(数字は忘れてしまった)。ウクライナ、ベラルーシ、ロシアが放射能によって汚された。16年後、防護服を着てマスクを装着して車に乗り原発の数十キロ圏に入る。石棺はしたが、時が経ち劣化していて放射能が今も漏れ出している。村から老人がよく来たねと声をかけてきた。この地域は年寄り以外は居住が許されない地域なのだ。
ベラルーシ、セシウムで汚染された地域。病院では甲状腺ガンの手術を待っていたり、手術をした若者が入院していた。友人など甲状腺ガンにかかっている人がかないいると話す。医者は原発事故前はこんなに多くはなかったと語る。一人の少年がホールボディカウンターで体内のセシウムの量を計測する。量が多いと医者は言い、きのこ、鹿肉、ベリー類などは食べていないだろうねと家にあったベリー系のジャムを計測するとセシウムが多く検出される。
ミンスクでは奇形児が集められた病棟がある。成長しなかったり脳性麻痺があったりする子供がたくさんいて永久にそこで暮らす。また、奇形児を遺棄する親がいて引き取る施設である。奇形児の出生率がほかの周辺国の25倍に増え、健常児が生まれる確率は15〜20パーセントになりほとんどが何らかの障害を持って生まれる。原発事故の影響だろうと医師は語る。映画では言われてはいないが、その健常児もいつ病気になるかわからないということもあるだろう。
足が捻じ曲がった子供、脳が頭に収まらずに飛び出た子供、口がうまく形成できないまま生まれた子供、手足ががさがさになって切断しなくてはいけないかもしれない子供、脳に水が溜まり頭が大きくなり脳がほとんど機能していない子供、腎臓が肥大して立てない子供。子供たちにおもちゃを配る監督。この現実を見ていつも涙をこらえているのと言う女医は私にも二人の子供がいて幸い健常児だったのと泣く。放射能、特にセシウムが遺伝子を損傷していく恐ろしさを目の当たりする。
未熟児で生まれる子供も多い。ベラルーシの人は生まれもって機能の異常がある心臓をチェルノブイリ・ハートと呼ぶ。ベラルーシは非常に貧しいので手術を出来ないまま死んでいく子供も多い。政府にも金がないのに汚染地域であっても補償金が打ち切られてしまっていた。200人以上手術待ちで他国から来た医者に運良く手術で助かることもある。医者は助けただけだと言うが手術をした娘を持つ母親からは非常に感謝される。医者は言う、私は仕事をしただけだが、いつもああ感謝されてどうしたらよいかわからないと。
ホワイトホース
20年前にチェルノブイリで暮らしていた青年が今は立ち入り禁止地域のかつて住んでいた団地を訪ねた。当時は子供で事故が起きて赤く燃えている炉を友達と見に行って親に怒られた。既に事故が深刻な状況になっていた。3日以内に私物は一切持ち出し禁止で強制退去させられた。自分の部屋には親が貼った白い馬のポスターがあった。その時壁に貼っていたカレンダーが86年のものだった。事故がなければと悔しそうにそれを破った。
2007年にその青年も死んでいった。27歳だった。
監督の言葉、人間は生き続けないといけない。
世界には国境がある。しかし、空、海、陸上には国境がなくつながっている。青い地球は尊いというようなことが文字で流れる。
日本は復興できます。必ず。
映画は終わる。
いつになったら、何年、何十年、100年それ以上かかるかもしれない。途方もない年月が。気が遠くなった。日本政府が言う直ちに健康に影響はない、つまり急性障害はないが、晩発障害は起こり得る。一世代では終わらず何世代かにまたがって遺伝子を傷つける。放射能は手加減をしない。そのことを嘘偽りなくしっかりと映したドキュメンタリーだった。
ため息しか出ない、息が詰まりそうになった。奇形児を面倒くさそうに扱う世話係のおばさんにもっと優しくしてと監督は言う。とんでもない姿になってしまった奇形児に目をそむけたくなった。監督はその子たちを抱いて抱きしめる。その子たちには何の罪もない。同情ではなく生を受けたことを称えるように抱く。人をしっかり見つめ包み込む人だからこそこうしてカメラを向けることが出来るのだと思った。
見たくない日本の未来。でも対峙しなくてはいけない。目に焼き付けなければ。現実を。
絶対に原子力発電、核エネルギーは日本から、青い地球からなくさねばらない。
除染するよりも福島県から、原発に近くて汚染が深刻な地域からは一刻も早く完全移住させないといけない。子供だけでも、毎日そう思い不安になる。戻すのは政府の殺人行為だ。
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CHERNOBYL HEART
2003年米
8月13日公開
公式サイト
PG12指定
☆☆☆☆
監督: メアリーアン・デレオ
製作: メアリーアン・デレオ
2003年度アカデミー賞ドキュメンタリー短編賞受賞
最初に今回原発事故が起こった日本のみなさんへと監督からの詩人の言葉が引用される。オリーブの木を植え続けないといけない。生き続けないといけない。
チェルノブイリ原発事故は1986年4月26日に起きた。軍を大量に投下し作業をした。何万にかの死者が出た。(数字は忘れてしまった)。ウクライナ、ベラルーシ、ロシアが放射能によって汚された。16年後、防護服を着てマスクを装着して車に乗り原発の数十キロ圏に入る。石棺はしたが、時が経ち劣化していて放射能が今も漏れ出している。村から老人がよく来たねと声をかけてきた。この地域は年寄り以外は居住が許されない地域なのだ。
ベラルーシ、セシウムで汚染された地域。病院では甲状腺ガンの手術を待っていたり、手術をした若者が入院していた。友人など甲状腺ガンにかかっている人がかないいると話す。医者は原発事故前はこんなに多くはなかったと語る。一人の少年がホールボディカウンターで体内のセシウムの量を計測する。量が多いと医者は言い、きのこ、鹿肉、ベリー類などは食べていないだろうねと家にあったベリー系のジャムを計測するとセシウムが多く検出される。
ミンスクでは奇形児が集められた病棟がある。成長しなかったり脳性麻痺があったりする子供がたくさんいて永久にそこで暮らす。また、奇形児を遺棄する親がいて引き取る施設である。奇形児の出生率がほかの周辺国の25倍に増え、健常児が生まれる確率は15〜20パーセントになりほとんどが何らかの障害を持って生まれる。原発事故の影響だろうと医師は語る。映画では言われてはいないが、その健常児もいつ病気になるかわからないということもあるだろう。
足が捻じ曲がった子供、脳が頭に収まらずに飛び出た子供、口がうまく形成できないまま生まれた子供、手足ががさがさになって切断しなくてはいけないかもしれない子供、脳に水が溜まり頭が大きくなり脳がほとんど機能していない子供、腎臓が肥大して立てない子供。子供たちにおもちゃを配る監督。この現実を見ていつも涙をこらえているのと言う女医は私にも二人の子供がいて幸い健常児だったのと泣く。放射能、特にセシウムが遺伝子を損傷していく恐ろしさを目の当たりする。
未熟児で生まれる子供も多い。ベラルーシの人は生まれもって機能の異常がある心臓をチェルノブイリ・ハートと呼ぶ。ベラルーシは非常に貧しいので手術を出来ないまま死んでいく子供も多い。政府にも金がないのに汚染地域であっても補償金が打ち切られてしまっていた。200人以上手術待ちで他国から来た医者に運良く手術で助かることもある。医者は助けただけだと言うが手術をした娘を持つ母親からは非常に感謝される。医者は言う、私は仕事をしただけだが、いつもああ感謝されてどうしたらよいかわからないと。
ホワイトホース
20年前にチェルノブイリで暮らしていた青年が今は立ち入り禁止地域のかつて住んでいた団地を訪ねた。当時は子供で事故が起きて赤く燃えている炉を友達と見に行って親に怒られた。既に事故が深刻な状況になっていた。3日以内に私物は一切持ち出し禁止で強制退去させられた。自分の部屋には親が貼った白い馬のポスターがあった。その時壁に貼っていたカレンダーが86年のものだった。事故がなければと悔しそうにそれを破った。
2007年にその青年も死んでいった。27歳だった。
監督の言葉、人間は生き続けないといけない。
世界には国境がある。しかし、空、海、陸上には国境がなくつながっている。青い地球は尊いというようなことが文字で流れる。
日本は復興できます。必ず。
映画は終わる。
いつになったら、何年、何十年、100年それ以上かかるかもしれない。途方もない年月が。気が遠くなった。日本政府が言う直ちに健康に影響はない、つまり急性障害はないが、晩発障害は起こり得る。一世代では終わらず何世代かにまたがって遺伝子を傷つける。放射能は手加減をしない。そのことを嘘偽りなくしっかりと映したドキュメンタリーだった。
ため息しか出ない、息が詰まりそうになった。奇形児を面倒くさそうに扱う世話係のおばさんにもっと優しくしてと監督は言う。とんでもない姿になってしまった奇形児に目をそむけたくなった。監督はその子たちを抱いて抱きしめる。その子たちには何の罪もない。同情ではなく生を受けたことを称えるように抱く。人をしっかり見つめ包み込む人だからこそこうしてカメラを向けることが出来るのだと思った。
見たくない日本の未来。でも対峙しなくてはいけない。目に焼き付けなければ。現実を。
絶対に原子力発電、核エネルギーは日本から、青い地球からなくさねばらない。
除染するよりも福島県から、原発に近くて汚染が深刻な地域からは一刻も早く完全移住させないといけない。子供だけでも、毎日そう思い不安になる。戻すのは政府の殺人行為だ。
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